君が僕のすべて。

光り輝く君

君のくれた毎日が僕の宝物だったよ

約5ヶ月の月日を経て、私の中をぐるぐる回っていたある問題に、ようやく結論を出すことが出来ました。

 

 

 

 

まず、私は 伊野尾慧 という人物に去年の8月、出会いました。今のような状態に至るのはもう少し先のことになりますが。どのような経緯なのかはまた後日、別のブログに記します。

 

何度か公言しているように、私は最初、伊野尾さんの顔ではなくスタイルに惚れました。

背がほんの少しだけ高くて、手足がすごく長くて、肩幅も華奢で、肌が白くて、顔が小さくて。(私は、筋肉ムキムキ!って感じの男性よりも、どちらかと言うと、ジブリ作品に出てくるような細くてひょろっとした男性がとても好みです。)

落雷の様でした。「わっ、この人好きだな…」って、今まで生きてきて1度もしたことが無い“一目惚れ”というものをしました。

まあ当たり前なんですが、もれなく顔も素敵で。中性的な見た目とは裏腹に、カッコイイ表情だったり、セクシーな表情だったり、いろんな表情をしていて、ギャップにやられたし、その振り幅に驚きました。

声も本当に素敵で。少し高めでクセがあるから鼻にかかるようで危なっかしい。周りの人は「ちょっと変」だというけれど、私はその声がとても好きです。

歌声もまた危なっかしい。地声とあまり変わっていなくて、鼻が詰まっているような歌声だけど、添加物0って感じの、一生懸命な歌声。最近になってきて、少し優しく歌ってみたり、特徴的に歌ってみたり、緩急をつけたりと、少しずつ歌声に工夫をするようになってしまったけど、それもまた好きです。

ダンスも、山田くんや知念くんほど完璧でキレキレではないけれど、伊野尾さん独特の、しなやかで、少し官能的にも見えて、妖艶で、美しいダンスが本当に好きです。少クラの『百花繚乱』も、SUMMARYの『真紅』もその前のダンスも、折鶴魂の『Hurry up!』も、矢印魂の『BOUNCE』も『スクランブル』も、with魂の『切なさ、ひきかえに』も『スギルセツナ』も、smartの『Ride With Me』も、どれも閉じ込めて置きたくなるような儚さがある。挙げていくとキリがないけど、ここに示した以上に、数え切れないくらいもっともっと伊野尾さんのダンスが引き立っているパフォーマンスや曲がたくさんあって。全てを書ききれないのが悔しいくらい、魅力的で素敵です。

 

それから物事に対する考え方や受け止め方。

私は伊野尾さんの、自分のことも含め、何事に対しても客観視できるところが好きです。自分を取り巻く状況に天狗になることも卑下することもなく、マイペースに仕事をこなす伊野尾さんを尊敬していました。

新しく与えられた初めての経験を、謙虚に、好奇心旺盛に挑戦して、いつだってプラスの方向に捉えられる伊野尾さんの思考が本当に好きでした。

どんなに忙しくても、その疲れやストレスを決して公に見せなくて、いつだっていつも通りの姿でいてくれてホッとする。その上見せてくれるひとつひとつのお仕事に、私たちの期待をはるかに上回るような結果を残し、見ていて本当に飽きないし、楽しいし、おもしろい。それから、そんな伊野尾さんの活躍を見れて心から嬉しい。

 

私は過去を結構気にする方で、好きになるのが遅かったから、当時も今も、たくさんの後悔をしました。

初主演の舞台『カラフト伯父さん』を見に行けなかったことは、この先一生後悔すると思います。いろんな方のブログを漁って当時の彼を知りました。行けなかったことへの悔しさと、しっかりと主演を務め上げた伊野尾さんへの誇らしさで本当に涙が止まりませんでした。

2013年、全国へJUMPツアー 6月23日の鹿児島公演、つまり伊野尾さんのお誕生日公演。それに行けていないこともすごい悔しいです。しかも伊野尾さんは黒髪なわけで…。初めて知った時はとても落ち込みました。もちろん今でも。

茶髪になった瞬間の感動も、金髪の伊野尾さんをリアルタイムで楽しめなかったことも、あれもこれもあとから知るような形になってしまって、全てがすごい悔しいです。まぁ、好きになるのが遅い自分が悪いんですけどね。

本当に、昔の伊野尾さんに思いを馳せ、涙を流す日々でした。

また、今年に入った3月、伊野尾さんにとって初めてのお仕事や、たくさんのレギュラー番組の出演が決まりました。怒涛のような毎日でした。

めざましが決まったときは丁度テスト中で、ツイッターも全然見ていなかったから、伊野尾さんが3月2日、あの日のめざましテレビに出ることなんてこれっぽっちも知らなかった私にとっては、物凄い衝撃でした。嬉しい!というより、信じられない…という感情の方が強かったです。毎週誰よりも早く伊野尾さんに挨拶して、見送られる日が毎週続くなんて…という考えは当時の私にはなかったです…。とにかく驚きました。

メレンゲの気持ちの男性初MCが決まったときは、逆に全然驚きませんでした。たぶん、メレンゲの放送地域じゃないから親しみがなかったからだと思います。あと、めざましの衝撃がまだ残ってたからかな…?でも、長寿番組だと聞いてすごい驚いたし、バラエティ番組のな方々との共演だからそれを知ってもっと驚いたし、その後数週間後のPON(だったかな?)でメレンゲ収録前の伊野尾さんに密着したVTRではその可愛さに悶えたし、初回の放送でもその初々しさ(と顔)がハチャメチャに可愛すぎてもはや過呼吸状態でした。  そしてどんどん決まっていくお仕事に嬉しさと寂しさとよくわからないたくさんの感情を抱き、当時はすごい複雑でした。世間に広まっていって、ファンが増えちゃうことへの嫉妬なのか、どんどん遠くなっていく彼への寂しさなのか…。

今は全然、伊野尾さんのファンが増えていくことはすごい嬉しいし、誇らしく感じられます。約1年間で親目線になってしまったのかな…?謎です。

それから、1ヶ月も経たないうちに主演映画の一報。恋愛モノだと聞いて当時は泣き崩れましたね…。

(↑当時の複雑な気持ちを綴った激重ブログ)

「映画?!」→「えっ、主演n…」→「れ、れ、恋愛モノ?!?!」→「ハグ?!キス?!」→死   思考回路はこんな感じ。パニックで泣いていたな…。あの時のことは今でもはっきり覚えています。

それから、すぐに発売されたQLAPでは、「テレビにたくさんでるんだから、逆に近くなったじゃん!」と、どんどん遠い存在になっていくことに、どうしても寂しさを感じてしまう私たちに、安心させてくれるような言葉をくれました。

フィギュアスケーター役で出演した、「ドクターX」。昔からやっている上、高視聴率なドラマで、自身にかかるプレッシャーも凄かっただろうと思います。それでも、なんなくやってのけました。練習を始めてすぐに滑れるようになった、と聞いた時は、自分のことのように嬉しくて、「さすがだな〜、仕事ができる男だな〜」と胸がいっぱいになりました。放送が近くなってきたら、予告映像が公開されました。スケーターとして、氷室くんとして、ちゃんと氷の上を滑ることが出来ている伊野尾さんの姿があって、めちゃくちゃかっこよくて、胸が潰れそうなくらい嬉しくて、バスの中で大変でした。

夏に出演した「そして、誰もいなくなった。」のバーテンダー役。出演が決まったのを知ったのはこれまた行きのバスでした。「バーテンダーだし出番めちゃくちゃ少ないだろうな〜」と思っていたのに、予告を見れば「登場人物全員容疑者」だし、1話の1番最初に出てきた変声機から聞こえる声がすごい伊野尾さんの滑舌や話し方に似ていたし、オープニング映像でキーパーソンかな?って疑うべき5人の中に伊野尾さんはいたし、その後の出番では意味深な発言や行動をするし…。あの時から、黒幕は伊野尾さんなんじゃないかってめっちゃ疑ってました。

毎話毎話、日曜日の夜なのにも関わらず、伊野尾さんの随分上達した演技と、ひたすらにカッコ可愛い顔面や声や仕草に感動し、深夜の1時くらいまで何度も繰り返し再生していました。

1番すごかったのが、最終回の予告。見た瞬間パニックになりました。狂ったように叫ぶ伊野尾さんの表情、声、姿があまりにも衝撃的で、結局3時くらいまで眠れませんでした。何の涙かわからないけど泣いたし、発熱しました。(謎)

 

 

 

そして、その最終回を終えてからの、日下ロス。

 

 

ファンどころか一般人までに衝撃を与え、またひとつ世間に実力を見せつけた伊野尾さんのファンであることがすごく嬉しくて誇らしくて、そんな伊野尾さんへのこれからの期待と「好き」の感情で胸がいっぱいになりました。親みたいだけど、自慢したくて仕方ありませんでした。

 

今でも、伊野尾さんに決まった雑誌や番組などのお知らせメールは全てとってあります。

伊野尾さんが残した全てが、私の宝物でした。

伊野尾さんのことが好きでいる自分も好きになれちゃうくらい、伊野尾さんのことが好きで、なんでもできる彼が誇らしくて、憧れで、尊敬の的でした。

 伊野尾さんのことを想って夜な夜な枕に顔を埋めて泣いたことも、疲れ果てて帰ったきた後に聴いた伊野尾さんの声に安心して泣いたことも、与えられたハードルの高い仕事のひとつひとつを軽々と乗り越える伊野尾さんがかっこよすぎて、愛おしすぎて泣いたことも、伊野尾さんが出演した番組の録画が上手くいってなくて悔しくて泣いたことも、コンサートが終わった時の余韻で、寂しくて切なくなって泣いたことも、伊野尾さんがくれる毎日が幸せすぎて、その幸せに気づいた時に泣いたことも…。泣いてばかりだな、私は…。「好き」が限界を迎えた時、人は涙を流すのですね。

それくらい伊野尾さんはたくさんの種類の涙と笑顔と楽しみ、その他たくさんの経験したことのない感情をくれました。

 

 

 

 でも、こんなに伊野尾さんが好きだった私が、伊野尾さんのことしか見ていなかった私が、いつの間にか、髙木雄也くん、薮宏太くんに心を大きく揺さぶられている現状には、自分でもすごく驚いています。

 

 

髙木雄也くんを意識するようになった本当の原因は、覚えていません。いつから気になっていたのか分かりません。

思い当たるのは多分、「真剣SUNSHINE」収録のカップリング曲である「Eve」を聞いた時だと思います。

当時の私は、別に髙木さんに特別な感情は持っていなくて、JUMPのメンバーとして、伊野尾さんのことを知る人物として普通に好きでした。

だから、あの真っ直ぐで、空に上っていきそうな純粋な歌声を聞いた時、不意のギャップに驚いてしまって、無意識に「この人の歌声が好きだな〜」と思ってしまったんです。今まで意識したことがなかった髙木さんの歌声がこんなに素敵で美しかったなんてこれっぽっちも知りませんでした。思わず涙ぐみました。そうです。私はギャップにめちゃくちゃ弱い女です。

それから、髙木さんを少し意識するようになって、伊野尾さんが映らないJUMPの番組やDVDではゆるゆると髙木さんを見ていました。

そこから、今までちゃんと見ていたのに気づかなかった、髙木さんの素敵なところが、いただきハイジャンプやリトルトーキョーライフ、そのときから聴き始めたJUMPdaベイベーなどを通して気づいていきました。

 

そして、数ヵ月後。髙木さんが少しだけ気になりなりながらも、頭まで伊野尾沼に浸っていた私を、岸へ引き上げるような、ある瞬間に出会います。

それは、7月23日~24日にかけて行われた27時間テレビです。

 2日にわたって挑戦したスーパーダンク。

1日目は失敗してしまいました。番組が始まってすぐということもあり、緊張とプレッシャーがあったから仕方がないことだと思います。

そして2日目。何度か失敗してしまったけれど、温かい出演者の方が何度も再挑戦を促してくれて、ようやく7回目。

なんと、スーパーダンクは成功したんです。

めざましの代表として、JUMP代表として、実行委員に選ばれた上、(自称)運動音痴な伊野尾くんが一生懸命パスを回す姿はとっても、とってもこの上なくかっこよかったです。

でも、それ以上に、両腕に大きな痣を作って、シュートという花形でもあり1番緊張してしまう役割を任された髙木さんが、みんなの思いを繋いだボールをリングにシュートした姿が、本当に、誰よりもかっこいいな〜好きだな〜と思ってしまったんです。 その後も、1人涙ぐんでいる髙木さんをみて「うぅ〜好きだ…」という感情が大爆発してしまって。こんなに素敵で魅力的な人だったんだ、と確信した瞬間でした。

それから、髙木さんを担当枠として見るようになりました。前よりも確実に好きになっていました。その数日後のコンサートでは、それでもやっぱり伊野尾さんばかり見ていたけど、髙木さんも意識している自分もいました。duetのソロ表紙だって、いつか飾ることは分かっていても、決まった時は涙が出るほどに、めちゃくちゃ嬉しかった。

 

 

それから、薮くん。

薮くんは、JUMPを好きになって初めて見たwith魂での『FOREVER』で最初に気になりました。そこでのソロパートでカメラに抜かれた時に、思い切り目を見開きながら綺麗な声で歌う薮くんの印象が強すぎて、しかも当時の薮くんは黒髪だったので私的最強ビジュアルだったんです。めちゃくちゃにかっこよくて心臓を殺られてしまったので危うく落ちそうになりましたが、当時は伊野尾さん熱がすごくて、なんとその火はもみ消されてしまったのです…。

それからしばらく経った8月2日のこと。ツイッターで『#8月2日は薮の日〜』みたいなタグが薮担さんの間で流行って、暇だったので私はそれを見ていました。そして、ある動画に出会うわけです。

それは、SUMMARY2011で、薮くんが自身のソロ曲を歌っている動画です。

その曲の存在すら、名前すら知らなかったのに、あれを見た時、寒い方じゃない鳥肌が立ちました。歌声が綺麗すぎて、顔がかっこよすぎて何回も再生しました。歌が上手なことは十分知っていたけど、ここまで上手いなんて…。薮くんの歌声の美しさをしっかりと確認し、そっといいねを押しました。

   少し経ってから、あの歌声がもう1度聞きたくて、名前も知らないあの曲を探しました。いろんなワードで検索かけ、ようやく出てきたのが『My Everything』という曲。すぐに聴きました。

 

圧巻でした。

「この人がJr界の中心、まさに帝王だったんだ。」って。

それまで当時のJr界の中心にいたということは知っていました。知っていただけで、私はそれを直接的に見たことはありませんでした。

でも、これを聴いた途端、見せつけられました。私が知らなかった当時の薮くんと、今まで聴き流していた、彼の底知れない歌声の魅力を。

あぁ、神様みたいだ。私はこの人の歌声が好きだ。この歌声が、自分にしか聞こえなければいいのに。

本気で思いました。

それから、Jr時代の薮くんを調べる手は止まらなくて、気づけば何時間も経っていました。画質が悪くても、音が途切れていても片っ端から再生される当時の映像を見つめる目と、探る指は止まらず。 Jr時代と現在とのギャップや成長に悶え苦しんだり、バリバリセンターを張ったりソロで歌っている薮くんを見て「かっこいい…好き…」とひたすら連呼したり。

それから前より意識するようになって、コンサートレポやいただきハイジャンプを通じて、薮くんの天然なところ(ギャップ)や、頭の回転が早いところ(私は頭がいい人が大好き)にまたもやハートを撃ち抜かれ、『やぶいの』コンビの尊さに気づき、そしてコロッと薮くんを担当枠として見るようになりました。

 

 2人のことを知っていくうちに、どんどん自分の心が侵食されていってることに気がつきました。だんだん歌番組でも2人を目で追っかけ始めるようになりました。雑誌のインタビューも2人の回答を楽しみにするようになりました。もっともっと知りたい!と思うようになりました。けど、2人にどんなに惹かれても、やっぱり根は伊野尾さんが好きで、伊野尾さんが出た雑誌も番組もほぼ全部制覇したかった(というかした)し、お財布の残高やHDDの残量と戦って、何かを泣く泣く諦めたり、その繰り越しで何かを買ったりする、そんな毎日がすごく楽しかった。自分でも伊野尾担だと思っていたし、本当に心から伊野尾担だった。それは本当に変わらなくて、そし誰やドクターXでの演技ひとつひとつも、単独で掲載された雑誌で見られるその被写体としての才能も、バラエティ番組などで発揮されるギャグセンスも、求められているものに沿った適切なコメントができるところも、声も、クセも、顔も全部全部好きだった。髙木くんや薮くんは気になってはいるけど、純粋な伊野尾担で、本当に毎日が楽しかった。

 

しかし、 そこで、忙しくも楽しい日々の中に、いきなり飛び込んできた、忘れもしない1度目のあの報道が出ます。

 

 (↑その時の気持ちを意味不明にとっちらかった文章で綴ったブログ)

いや、本当に信じられなかった。話が重すぎて受け止められなかった。あの時はマジで辛かった。今でも少し辛い。ちなみにその週のめざましもリアルタイムで見たっきりまだ見ていない。その時はツイッターを開く気にもなれないくらい参ってました。辛かった。でもやっぱり伊野尾さんの様子が気になったから渋々ツイッターを開き、報道が出たその週にあった広島公演のレポを読みました。  まあ、当たり前だけど、伊野尾さんは元気がなかった。“死んだような目”とのことだった。私まで落ち込んでしまった。泣いてしまった。いつでも幸せそうに笑っている伊野尾さんが大好きだから。JUMPの中にいるリラックスした伊野尾さんが大好きだから。

そこで私は、伊野尾さんのことを支える2人の存在にまたもや惹かれてしまうんです。(もちろん、八乙女くんや有岡くん、その他のメンバーの支える姿にも胸を打たれた。)その姿を知れば知るほどもう、好きだと思うしかなかった。止められなかった。大袈裟だけど、心がズタボロになった私の支えになってくれた。心の癒しだった。伊野尾さんは私の心の場所だったから。

しかし私は、こんなことがあっても、それでもやっぱり伊野尾さんが好きだった。それでも伊野尾担だった。すごい苦しかったけど必死に立ち直った。伊野尾担を続けたかった。

でも、だんだん2人が見せてくれるもののひとつひとつに大喜びしている自分に気づいた。Fantastic Timeのカップリング曲で山田くん、薮くん、髙木くんがメインである「ワンダーロード」でも、2人のパートに目を瞑って聴き入っている自分がいた。伊野尾さんのパートが増えていることに気づくことより先に、髙木さんのパートが少ないことに気づいて落ち込んでいる自分がいた。歌番組であまり薮くんが映らなかったことに不満を感じている自分がいた。だんだん2人の存在が私の中で揺るぎないものへと変わっていった。こんなんで伊野尾担名乗ってていいのかな〜なんてゆるゆる考え始めました。でも、降りる気は全くありませんでした。

そして、12月2日、2度目である、耳を塞ぎたくなるようなあの恐ろしい報道が出ます。

 

上の書いたブログを読んでいただければわかるように、 もう、悲しみを通り越して失望でした。あー、クズだ と思いました。傷つけないでと思いました。何のために、この男に時間とお金をかけてきたんだろう。二股をする男なんかに金を貢ぐなんて馬鹿らしい。 そう思いました。そこで不意に浮かんだ感情は、

“担降りしたい”

でした。私にとって恐ろしい6文字でした。今まで、髙木くんや薮くんを担当枠には入れていたけど、自分は伊野尾担であることは絶対に変わらなかった。変わりたくなかった。こんなこと初めて思った。でも、もしも担降りするなら…と考えた時、やっぱり相当な覚悟が必要だった。担降りなんてできなかった。その2度にわたる例の報道によって、私の中の伊野尾さんの印象が以前に比べ愕然と変わってしまったことは本当。伊野尾さんから降りたいと何度も思ってしまったことも本当。申し訳ないけど。でも、私はどうしても今回の担降りにその件を原因にしたくなかった。髙木くんにも薮くんにも、彼らのファンにも失礼だと思ったから。 私だって逆にその立場なら嫌だと思ったから。でも、やっぱりその報道で傷ついてしまった心を癒してくれたのは紛れもないその2人だった。言い方を変えれば、私が逃げた場所がそこだった。

ずーっと、担当について悩んでいた。伊野尾さんは本当に素敵な人だ。こればかりは断言できる。私が、ジャニーズに対して揣摩憶測に抱いていた勝手な概念をぶち壊してくれて、新しい趣味と、たくさんの楽しい時間と、たくさんの笑顔や言葉や励ましを与えてくれた特別で大切で大好きな人です。突然の環境の変化により、毎日が辛くて無理に笑っているような時期も、伊野尾さんがいたから頑張れた。伊野尾さんがいたから結果今とっても幸せ。AV女優とシンガポールで遊んでようが、女子アナと二股してようが、伊野尾さんは伊野尾さんで芯は変わらない。前の記事で散々怒ったり批判したり失望したりしたけれど、あれからずっと考えて結局この結論に達した。(というか実はそんな想像通りの伊野尾さんが好きだったりする。)時々、やっぱり悲しくなったり、失望したり、怒りを感じたりするんだけど。人間って簡単に気持ちが変わるものなんだなぁ。伊野尾さんにも自分にも甘いなぁ…。話が逸れてしまった。

私がこのタイミングで担降りしたのは、意味わかんないけどやっぱり熱愛報道が原因。だけど、熱愛報道報道が原因ではない。熱愛報道によって空いてしまった心の穴を塞いでくれたのが2人だった。弱った心に2人の魅力を突きつけられたら、どうしても心が揺らいでしまった。伊野尾さんが嫌いになったから担降りした訳では無い。それは話が別。伊野尾さんから少し心が離れた時に癒してくれたのが2人だったから、普通は感じない特別な魅力を感じてしまって結果担降りという結論に至った。客観的に見たらどう思われるのかわからないけど、伊野尾さんへの気持ちの変化と今回の担降りは話が別という理由です。

 

 

でもやっぱりいざ降りるとなっても覚悟を決められない…。

伊野尾さんを担当から外すことで、自分の中の “何か” が失われてしまうような気がして、でも心は2人の魅力に完全に支配されている。気持ちはもう決まっていて、降りたくて仕方がないことを頭では分かっているのに、心の奥底で、やっぱり伊野尾さんを愛しく想っている自分がいる。

だって…被災地の方からのお便りを一生懸命に伝えようとする涙声も、共演者の方の結婚記念日に私たちが知らないようなところでお祝いの花束を渡したことも、お子さんが誕生したらまた私たちがわからないようなところで赤ちゃん服をあげたりしていることも、1度聞いてしまったら担降りなんて出来ないに決まってる。好きに決まってる…。(激重)

それに、さっきも言ったように、伊野尾さんは私にとって本当に特別で大切な人だから、簡単に手放したくない。伊野尾さんを好きになって約1年経ったけど、あの日から今までずっと私に笑顔をくれていた人だから。

 もしかしたら、今2人に対して持っている熱は刹那的なものかもしれない。少したったら過ぎ去る熱なのかもしれない。そう思ってずっと引き伸ばしてきた。

でも、そんなことなかったよ。今思えば、私が好きになった2人と、その魅力は一瞬で忘れられるようなものじゃなかったなって。これからずっとこの人について行っても、絶対に大丈夫だ、絶対に素晴らしい景色を見せてくれる、そんな気がした。安心した。

 

 

 

実は、このような担降りに関する記事を書き始めたのは、約4ヶ月前の8月からでした。
約4ヶ月の間、このブログのような担降りを宣言する内容ではなく、担当に迷っている内容(つまり降りるか降りないか)ではありましたが、書いてる途中に「やっぱり伊野尾さんが好きだ…担当を変えるなんてできない…」と何度もなってしまったり、「こんな文章じゃ伝わらない、伝えたいのはこういうことじゃない」、と最初から書き直しては消し、書き直しては消しの繰り返しでした。
それほど、伊野尾さんは私にとって大きなものでした。大切な存在でした。もちろん今でも。

 

そして、今ようやく書き上がりました。私の担降りブログ。私の決意表明。

 

伊野尾さんのことは今でも変わらず大好きです。今までもこれからもずっと憧れで、尊敬の的であることは変わらないと思います。好きの分量も変わらないです。これは絶対に。むしろこれからまた、もっと好きになっていくと思います。
そして、私はその分量を超えてしまう人を見つけてしまった。その人に、これからずっとついて行きたいと思った。その人が見せてくれる景色を見たいと思った。だから、今回担降りを決断した。

それから、髙木くんと薮くんのどちらを担当にするかという問題。これも泣くほど悩んだけど、冷静になって考えてみれば問題なかった。
私は、髙木雄也くんについて行きたい。薮くんは担当ではないけれど、2番目とかそういうのじゃなくて、髙木くんの次に優先したい人。

だから、今回の担降りを経て、私が担当について語る上での持論は『一番優先したい人』だ。

これを書いている今は、まだ伊野尾担です。だから、このブログを更新した瞬間から、私は髙木担になる。担降りなんてした事がないから、なんか怖い。でも、楽しみだ。

 

伊野尾くん、今まで本当にありがとう。私の光になってくれて、私の心の場所になってくれて、私のすべてになってくれてありがとう。たくさんの笑顔と、楽しみと、特別な時間と、たくさんの涙と、いろんな感情をくれて。本当に毎日が楽しかった。伊野尾くんのくれた毎日が私の宝物だったよ。

髙木くん、これから私はあなたについていきます。あなたが見せてくれるすべてに、私のできる限りの、すべての声援を捧げたいと思っています。これからよろしくお願いします!

 

そして、伊野尾さんへの今までの感謝と、薮くん、髙木くんのこれからの飛躍に多大なる期待を込めて。

 

 

12月24日、今日、私は髙木担になった。